はじめに
毎年学校で開催される運動会(体育祭や体育大会、学校によってはスポーツフェスティバルなど呼び名も様々ですが、ここでは運動会で統一します。)ですが、その運動会は一体どのようにして日本で始まって、どのように発展していったのでしょうか?
そして、運動会といえば9月か10月の”秋開催”というイメージが強い方も多いかと思いますが、それも今や昔の話。
“春開催”が半数以上を占めるようになったのには、どういった理由があったのでしょうか?
運動会練習など授業の一環でも出来る面白いトリビアとしてはもちろん、ルーツを知ることで新たな発見があるかも!?
運動会の起源
そもそも、運動会はどこでいつどのようにして始まったのでしょうか?
オリンピックから始まるように、”特定の競技で競い合う”ということはヨーロッパで始まったとされるのが有効です。
しかし、日本で行われている運動会はスポーツの競技会のみに止まらず、フォークダンスや組体操、行進など全体の協調性を促すものやお祭りのような要素、さらには軍隊要素まで含まれています。
これは、世界的に見ても珍しく”近代日本における独特の体育的な行事”として認識されています。
その起源の定説はいくつかありますが、
・1874年にウィリアム・ストレンジ指導の元行われた、海軍兵学寮で行われた「競闘遊戯会」である
・1868年に横須賀製鉄所で職工らの間で行われた競技会である
・1878年に札幌農学校で開催された「力芸会」である
といった説があります。
しかし、「運動会」と呼ばれる行事を初めて行ったのは、なんとあの有名な一流大学だったのです・・・!!
運動会のルーツは、東京大学にあり!?
明治16年に、勉強ばかりやっていると潤いがなくなるということから、多くの人々に見せるために現在の東京大学が始めたところから「運動会」という名がつきました。
これが、「運動会」という名前がついた行事としては日本初となります。
その後、初代文部大臣の森有礼が横浜の外国人租界地で行われた陸上競技会を見物して体育教育に有効だと判断したことから、全国の小中学校で運動会を催すように訓令を出しました。しかし命令を出された時代は、まだ教育制度が定まっておらず、そもそも運動場という施設もなかったため、当時はいくつかの学校合同で神社や寺の境内を借り運動会を主催していました。
現在に至るまでの歴史
さきほども話したように、運動会は様々な形で似たような行事が開催されていました。
そしてその後、東京大学によって「運動会」という名前が付けられた後、初代文部大臣である森有礼によって全国へと広められました。
初めは、運動場を持っていない学校が多数だったので、複数の学校などが合同で広場などで行われたことが多かったようです。
つまり、単なるスポーツの競技会ではなく、遠足や他校との交流も含めた行事だったと言えます。
また、神社の境内などを借りて行っていたこともあって、地域の人たちが集まる集会としての役割も果たしました。
その後、戦時中に入ると強い人間を育てるための「訓練の成果を発表する場」という色が強く押し出されるように。
それらは、駆け足での集合や隊列、点呼や声の同期など、現在でもその形は引き継がれている部分があります。
運動会はお祭りだった?
先程、神社や寺の境内を借りて主催していた話をしましたが、この場所を借りるためには、氏子や檀家という神社やお寺と関わりのある地域の人々の許可が必要でした。そのため、当時は生徒がただ競走するだけでなく、氏子や檀家も一緒に参加してもらうイベントとして開催されています。
つまり、地域の人たちが大人も子供も一緒になって集まる、まさに「お祭り」の要素が当初は強かったのです。
さまざまなスポーツのスターターとなった運動会
どうせ神社やお寺でイベントを行うならと、夏祭りや秋祭りも一緒に混ぜた開催した時期もあり、盆踊りや豊年満作踊りなども運動会で兼ねるようになりました。ちなみにこれが、フォークダンスのルーツでもあります。
同様に「玉入れ」はバスケットボールを 、「障害物競走」はイギリス発祥の乗馬障害レースをアレンジしたものです。また 「綱引き」は、豊作や豊漁を祝うための地域行事が形を変えた種目で、「騎馬戦」は憲法を作ることを主張した政治運動=自由民権運動がルーツなんだとか!
秋開催と春開催
さて、それでは今回の2つ目のお話です!
運動会といえば、みなさんはいつ開催されていたイメージでしょうか?
おそらく、本州にお住まいの多くの方は「秋っ!」と答えるのではないでしょうか?
実際に、1985年に全国の小学校を対象に行われたアンケートによると、春開催が32.2%、秋開催が48.1%、春秋開催が19.7%でした。
「保護者の方がお弁当を作って持ってきてくれる」というのも魅力の一つとして考えられていた時代もあり、まさに「秋のピクニック」としての運動会というイメージもあるかと思います。
そんな運動会ですが、近年”春開催”が増えてきていることはもとより、北海道ではそもそも春開催が主流であったことなどはご存知でしたか??
上述と同じアンケートを2012年に行ったところ、秋開催が53.5%、春開催が43.7%と、やや秋開催の方が多めという結果が出ています。
【参考URL】
秋開催の理由
「そもそもなんで運動会って秋にやっていたの・・・?」
その理由には諸説ありますが、ここではその中でも特にメジャーな2つの理由を参考に考えてみたいと思います。
①地域の行事として、お祭りが開催される「農作物収穫」のタイミングと合わせる、または田植えなどで忙しい春を避けるため
先ほども紹介したように、運動会は単なる学生たちの体操競技大会ではなく、地域のお祭りのような面も含んだ大きな行事でした。
そして、お祭りといえば農作物の収穫を祝って秋に開かれることが多いですよね?
そういう訳で、運動会も秋に開催されていました。
また、地域の方がより参加しやすいように田植えなどで忙しくなる春を避けたという見方もあります。
②1964年開催の東京オリンピックが10月に開催されたことから
1964年に東京オリンピックが日本で開催されたとき、真夏日を避けるために10月の開催となりました。
そしてその後、10月10日が「体育の日」として国民の祝日に定められたので、その付近に運動会が開催されるようになりました。
「地域全体が参加するお祭り」「田植えなどの繁忙期を避ける」「東京オリオンピック後に定められた10月10日『体育の日』に合わせるため」などの理由から、運動会は秋に開催されるのが通例でした。
春開催が増えてきている理由
では、なぜ最近は春に運動会をする学校が増えてきているのでしょうか?
これにも下記のような理由が考えられます。
・気候の変化により、9月も暑い日が続くことが多くなった昨今において熱中症などを防ぐため
・秋は、文化祭や遠足など他の行事も多いので年間を通して分散させるため
・一学期のうちに運動会を行うことで、より早くクラスの結束力を高めるため
・受験を控える子供達に、秋の段階で受験に集中出来る態勢を作るため
などが挙げられます。
そして、同時に運動会という行事が防犯などの観点から「地域ぐるみのお祭り」ではなくなってきたということも秋開催から春開催に変わっていく変化の理由として考えられます。
近年の運動会
運動会のルーツを辿ってきたので最近の運動会の様子をご紹介。
最近の運動会は、それ自体を楽しいイベントにしようと、新しいネーミングや新しい競技を追加する学校も増えてきました。
例えば徒競走は「雀雛出巣=すずめの巣だち」走り高跳びは「ボラの網越え」、砲丸投げは「ふるだぬきのつぶて打ち」など、とてもユニークな名前をつけてみたり、話題のバブルボールを使った競技などを開催する高等学校もあります。
【参考URL】
ヨーロッパでも大人気!子供から大人まで愛されている新感覚遊具!バブルボールがバナナモールにて販売開始!イベント会場でも大活躍間違いなし!
【イベント報告】茨城県でもバブルボールは大活躍!地域でのスポーツ復興を目的とした「いばらきキャンドルナイト」さんに「みとオータムフェスティバル」にて、弊社のバブルボールを使っていただきました!
まとめ
ここでは、みなさんに親しまれ続けている「運動会」について、その起源を遡るとともに現在までの歴史を紐解き、運動会の春開催と秋開催の違いなどについて書きました。
まとめると、
・「運動会」という名前がついた行事は東京大学で初めて行われた
・運動会には、遠足や他校との交流としてのイベント性、地域のお祭りとしての性質、戦時中には兵隊育成のための行事などがあり、様々な要素を取り入れた「近代日本における独特の体育的行事」である
・様々な理由の中で秋開催が主流であった運動会は、近年気候の変化や受験、地域ぐるみでのイベントではなくなってきたなどの理由から春開催が増えている
といったことが分かりました。
「なぜ運動会を行うのか」「この競技にどんな意味があるのか」などの素朴な疑問を持った学生たちへの回答として、あるいは運動会の練習における休憩中の小話として、この記事が役に立てば幸いです。
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