はじめに
みなさんはフォークダンスを踊られたことはありますでしょうか。日本の小学校などでも広く踊られていて知名度が高いものには、マイムマイムのような手を取って円になって踊るものがありますね。実はフォークダンスという言葉は民族舞踊(民族の間で踊られている伝統の踊り)という意味なので、日本のソーラン節なども言ってしまえばフォークダンスの一種となるのですが、本記事では最初に言ったような外国のフォークダンスがどのように入ってきたのかの歴史をご紹介いたします。
フォークダンスが日本にやってきたのは戦後のこと!
フォークダンスが日本にやってきたのは戦後のGHQによる日本への民間教育がキッカケだったと言われています。「アメリカが日本人を娯楽に夢中にさせて骨抜きにさせるため」だとか、「男女が同じ立場で娯楽に勤しむことで男女平等を教えるため」など、フォークダンスを輸入した意図については諸説あるようですが、この教育によって現在まで親しまれるフォークダンスの原型が入ってきたのですね。
最初に入ってきたのは「スクエア・ダンス」
フォークダンスはGHQから日本に伝わったものだと言いましたが、そもそもは「スクエア・ダンス」という種類のフォークダンスを、長崎の教育官をやっていたGHQの二ブロさんが地元の人々に伝えたことが最初のキッカケだったそうです。スクエア・ダンスもアメリカ由来のフォークダンスの一種で、複数の男女で集まってみんなで楽しみながら踊るという趣旨のダンスとなっています。二ブロさんの尽力、ダンス自体の魅力の高さや、日本へのレクリエーション教育の導入の向きが高くなったこともあり、スクエア・ダンスはあっという間に日本中に広まったと言います。
フォークダンスの更なるメジャー化へ
フォークダンスが輸入されてしばらくのこと、更にハーマンさんという世界中のフォークダンスの楽曲をレコード化するなど、世界中にダンスを広めることに大きな貢献をしていた方がアメリカから派遣されることになります。そのことがキッカケとなりフォークダンスブームに火がつき、日本のフォークダンス連盟が設立されるに至ります。
まとめ
日本にフォークダンスが導入されたのはGHQの日本人骨抜き化のためと言うと、あまり聞こえはよくないですが、娯楽としてのダンスが入ってきたことによって、戦後の日本人の傷ついた心が大いに癒されることに繋がったという見方もすることはできるでしょう。教育としてダンスが定められている今の時代、娯楽として導入されたフォークダンスの歴史に思いをはせて、時代を超えて伝わっているダンスの楽しさに触れようとしてみるのもよいかもしれませんね。
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